ハワイ市街地



フラダンスを振り返る前に日本の踊りについて少しだけ触れてみたいと思います。
日本における神へ捧げる舞踊りがあるのをご存知ですか? いわゆる神事としての踊りです。
(もちろん神道の世界ではそれぞれの神社で、いろんな神事がとり行われています。大きな人形が練り歩くとか、巨木を坂道で滑らせるとか・・・)

そういった神事の一つとして、神楽(かぐら)というのがあります。聞いたことがあるかと思います。
(まったく個人的な体験ですが、伊勢神宮で神楽を奉納してもらったことがあります。厳かな雰囲気の中でいい体験ができました)

「神楽(かぐら)」について簡単に説明しますと、楽器での演奏(琴・笛・ひちりき)+歌(かぐら歌というものらしいです)+舞踊りの3点セットでの演舞です。神さまに奉納するものですね。

実は、フラダンスも神さまに捧げる踊りなのです。簡単に比較してみますね。

ハワイ(フラダンス) 日本(神楽)(かぐら)
ハワイ(ポリネシアの島々)の人たちには
自然、生活のすべてに神が存在するという考え方
森羅万象すべてのものに神が宿るという考え方
八百万神(やおろずのかみ)という発想
神に捧げる神聖な踊り 神事(神さまを祭ること・祭り)の一つが神楽(かぐら)
詩の詠唱、楽器演奏、踊りという組み合わせ 琴・笛・ひちりき等で演奏、歌を歌い、舞を踊る



神聖なものだということがわかりますね。フラダンスには、もう一つの役目があったようです。
古代の人たちは文字を持っていなかったのです。ものごとを伝えるには口承文化です。

フラそのものや出来事を後世に伝えるための手段が、フラダンスだったというわけです。

精神的なものは日本と似ていますね。
キリスト教の世界がキリストやマリアさまを神格化していたり、イスラム教ではアラーの神を唯一の神として崇めたりしているのとは少し世界観が違います。

自然、森羅万象、すべてのものに神が宿るという発想が共通的にあるから日本人はハワイに対して親近感を覚えるのかも知れません。

フラダンスとタヒチアンダンスとポリネシアンダンス

見出しにある3つのダンス名を聞いたことがあると思います。まずは、その前に「ポリネシア」という概念の範囲をおさらいしておきましょう。

学生時代に、ミクロネシア、ポリネシア、メラネシアというのを習いませんでしたか?
ミクロネシアとメラネシアはここでは省略します。
ポリネシアは、下図の地図のような範囲を概念としてとらえています。そして、タヒチアンダンスのタヒチ島というのはフランス領ポリネシア内の一つの島です。(三角形の点線内がポリネシアと呼ばれる範囲です)

世界地図ポリネシアン



この地図だけをみると、一番広い概念が、ポリネシアンダンスで、その中にフラダンスとかタヒチアンダンスというのが入ってくるのかな、というイメージができます。(ただし、独断と偏見です)

ポリネシアの文化圏で踊られていたのがポリネシアンダンスかな、という感じですが、ポリネシアンダンスとして目にする機会よりも、ポリネシアンショーとして見ることがあるのではないでしょうか。

それこそ男性が火のついた松明(たいまつ)を持って踊るというショーのイメージです。

そのポリネシアンダンスの一つ(派生したもの)として、有名なのがタヒチアンダンスとフラダンスですね。
それぞれタヒチやハワイで踊られていたものです。

2つのダンスの細かい違いなどについては別の機会にしたいと思います。

フラダンスの起源

では、フラダンスはいつ頃から誕生したものなのでしょうか。

そもそもフラダンス発祥の地がハワイだとする説と、タヒチから移住した人々がもたらしたという説があります。主力の説は後者のようです。
タヒチの島々の人々が舟に乗って海洋進出した、そしてハワイにたどり着いたというのが自然な考え方ですね。
ですから、フラダンス発祥の地は、タヒチということにしておきたいと思います。

では、その起源ですが・・・

いつ頃から、というと「古代」からとしか言えないと思います。
日本でも縄文時代、あるいはそれ以前の頃から南方系の人たちとの交流があったと言われていますから。それと同じような発想をするならば、古代の人々の間で伝承されていた、ということになるのではないでしょうか。

神へ捧げる舞踊りという目的の他に、文字のない時代に文化・伝統を伝えるためのものであったとするなら、まさに古代から発祥したものであると思われます。

フラダンスの歴史1(消えた歴史?)

世界の歴史的にみて人々の大きな動きがあったのが、大航海時代、植民地化の時代だとすると、ハワイも列強国からの支配を受けることになります。

簡単にハワイの歴史を振り返ると、ハワイ島、カウアイ島・・・それぞれに王朝が支配していました。

1778年にイギリスから来たクック船長にて発見される(サンドイッチ諸島と命名される)
1795年、ハワイ王国樹立宣言(カメハメハ1世・カメハメハ大王)
1810年、カウアイ島も服従となり、ハワイ諸島の統一
1820年、宣教師団が上陸する・・・ここからフラの禁止(約50年間禁止)
1874年、カラカウア大王即位・・・フラの復活(祝いの踊りとして)
1894年、共和国誕生(大統領制)
1898年、アメリカがハワイを併合
1959年、アメリカ50番目の州となる

【黒字部分は ハワイの神話と伝説:歴史年表から抜粋させていただきました】



アメリカからの宣教師たちは、先住民たちの踊りを良くないものとして禁止したのです。
一神教であるキリスト教徒ですから、たくさんの神々を崇拝・信仰する精神であるフラダンスを禁止したわけです。
(実際には女王に進言して禁止させたらしいですが)

そこから約50年間もの間、フラダンスは踊られることがなくなったのです。
(日本でも途絶えた神事・舞踊りみたいなものもたくさんありますね)

フラダンスの歴史2(フラダンスの復活)

そんな途絶えていたフラダンスを、祝いの踊りとして復活させたのが、1874年に即位したカラカウア大王です。
(17年間の統治期間だったらしいです)

ハワイの人たちにくすぶっていた誇りが復活したわけです。
ここまでは万々歳!なのですが・・・

その後、ハワイ王朝が消滅してアメリカに併合されるようになってから、カヒコ(古典フラ)は衰退していきます。

やがてハワイは観光地として大きく発展を遂げることになるのですが、その観光のために一役買ったのが観光客を楽しませるためのフラ、アウアナ(現代フラ)だったといわれています。

そして、1970年代に入って(世界と同じように)伝統文化を復活させようという動きが出てきます。
1971年には、コンペティション(競技会形式)が開催されるようになったのです。
(この時に、カヒコ(古典フラ)も注目を集めるようになったというわけです)

そこから今日に至るまでずっと発展してきているのが今のフラダンスなのです。

日本人とハワイとフラダンス

避けて通れない歴史があります。第二次世界大戦(太平洋戦争)の時に日本軍は真珠湾を奇襲しました。

実は、太平洋戦争以前に日本人とハワイとの関係が始まっています。
カラカウア大王は日本にも来ています。

当時の明治政府と(古い条約を改定して)新しい条約を結んだのです。日本からの移民についてはウェルカムという感じだったらしいです。
実際に明治時代の西南戦争の後からたくさんの移民がハワイに渡ったと言われています。
もちろん移民された方々の苦労は並々ならぬものがあったはずです。

戦後、ハワイは観光地としてますます発展していきます。

昔は(日本での)新婚旅行は、1960年代~70年代の頃、南九州や宮崎などがメインでした。それが・・・
映画などにもハワイが登場するようになり、やがて日本でも海外旅行ブームが来ます。ハワイが身近なものになったのです。

私たち日本人はハワイに対していいイメージしか持っていません。
ハワイ、ハワイアン、フラダンス・・・今、日本にはフラダンス人口が約100万人とも言われています。

多くのフラダンス愛好家、指導者、主宰者といわれる人たちが本場ハワイのフラを習ったり、大会に参加したりとハワイを訪れます。
今後さらにハワイと日本の関係が深まるといいですね。

わたしも個人的に商品をハワイで販売できる日が来たらうれしいのですが・・・夢です。
ハワイのお店で買える日本のミネラルウォーター(天然水)、シリカ水HulAという時代が来ることを願っているのです。